Miya Hiro, artist jp/en
人と人とをつなぐという使命をアートを通じて行っている、宮内さん。彼は2015年にドイツ、ライプツィヒにある、日本の家に芸術活動のためにやってきました。1年経った現在、新たなプロジェクトに向けて、スペイン人のアナさんと共に日々邁進されています。
今回の彼の人生と現在進めているプロジェクトに焦点を置き、インタビューさせていただきました。壁に貼ってある作品は宮内さん、アナさん、そしてメキシコ人写真家のコラルさん3人で3月に共同制作したそうです。日本語、英語、スペイン語、そしてドイツ語が飛び交い、言語の壁を全く感じさせない、楽しい時間となりました。(こちらに彼のこれまでの人生の詳細が載っているインタビュー(英語)が掲載されていますので、そちらもどうぞ!)
今回の彼の人生と現在進めているプロジェクトに焦点を置き、インタビューさせていただきました。壁に貼ってある作品は宮内さん、アナさん、そしてメキシコ人写真家のコラルさん3人で3月に共同制作したそうです。日本語、英語、スペイン語、そしてドイツ語が飛び交い、言語の壁を全く感じさせない、楽しい時間となりました。(こちらに彼のこれまでの人生の詳細が載っているインタビュー(英語)が掲載されていますので、そちらもどうぞ!)
ーインタビュー読ませていただきました。いろんな経験されてるんですね。
いやいや、全部中途半端です。
ー大学在学中、インドへ行ったのはどのような理由ででしょうか?
1ヶ月滞在したのですが、ボロ雑巾になろうと。わけわからないところで、もみくたにされたいと思ったんですね。内側にあったエネルギーを吐き出したい気持ちがあったから、芸術の大学へ進んだんですが、本当にこれでいいのかっていろいろ考えた結果、インドに行きました。今思えば、学生が夜中に自転車でがむしゃらに走って、寒くなってお家の暖かさを感じる、みたいなことと同じですね。
ーインドでは何をなさっていたんですか?
いろんなところに行きました。半分はお腹壊してましたけど。(笑)
死ぬってことが身近にある環境だったから、逆に「生きてる」ってことを切実に感じました。旅に慣れてる人だったら多分そんなことないのかもしれないけど、僕にとってはこれが初めての海外だったし、一人だったのですごく怖くて。行って5分くらいでもう家に帰ろうかなって思いました。
ー大学卒業後、実家に戻って、ホテル経営を始めたとありますが、今もなさっているんでしょうか?
そうですね。母が事務をしてくれていて、経営方針など大きな決断などは僕の方に聞いてもらう形になっています。高校が商業高校だったので、会計やコンピューターの資格などを持っていて、会社経営をするのに活きてます。公認会計士をめざす大学の推薦ももらえるという話もあったのですが、絶対嫌だと思いましたね。この先数字を追いかける人生になるのかと思ったら、そんなのヤダなと思いました。親の心配もありましたが、芸術大学の方に進みました。
いやいや、全部中途半端です。
ー大学在学中、インドへ行ったのはどのような理由ででしょうか?
1ヶ月滞在したのですが、ボロ雑巾になろうと。わけわからないところで、もみくたにされたいと思ったんですね。内側にあったエネルギーを吐き出したい気持ちがあったから、芸術の大学へ進んだんですが、本当にこれでいいのかっていろいろ考えた結果、インドに行きました。今思えば、学生が夜中に自転車でがむしゃらに走って、寒くなってお家の暖かさを感じる、みたいなことと同じですね。
ーインドでは何をなさっていたんですか?
いろんなところに行きました。半分はお腹壊してましたけど。(笑)
死ぬってことが身近にある環境だったから、逆に「生きてる」ってことを切実に感じました。旅に慣れてる人だったら多分そんなことないのかもしれないけど、僕にとってはこれが初めての海外だったし、一人だったのですごく怖くて。行って5分くらいでもう家に帰ろうかなって思いました。
ー大学卒業後、実家に戻って、ホテル経営を始めたとありますが、今もなさっているんでしょうか?
そうですね。母が事務をしてくれていて、経営方針など大きな決断などは僕の方に聞いてもらう形になっています。高校が商業高校だったので、会計やコンピューターの資格などを持っていて、会社経営をするのに活きてます。公認会計士をめざす大学の推薦ももらえるという話もあったのですが、絶対嫌だと思いましたね。この先数字を追いかける人生になるのかと思ったら、そんなのヤダなと思いました。親の心配もありましたが、芸術大学の方に進みました。
ー大学卒業後、ホテル経営や大工をなさっていたそうですが、その間、絵は描いていたんでしょうか?
大学卒業後、だんだんアイデアが出なくなってきたので、絵はすっぱりやめて、大工一本の生活になりました。まず大工の職業訓練校に1年行って、ものを作るって面白いなって思って没頭しましたね。訓練校卒業後は、宮大工の募集があったので鳥取に行きました。
ーまた絵を描き始めようって思ったのはいつですか?
鳥取で生活しているとき、大工をしているのが辛くて、結局4ヶ月くらいでやめてしまって。面白い人を探して放浪したら、たくさんのつながりができて、レストランを開くって言ってる子たちと仲良くなったんです。そのお手伝いをしてる最中に、子供たちと絵を描く機会があって、そのときに絵を描く楽しさを思い出させてもらいました。そのあと、ふらっと沖縄に行きました。大工を短い間でやめてしまったので、家に帰りづらくて。ぼーっと沖縄で海を眺めているうちに、思ったんです。「あ、今僕は絵を描きたいんだ」と。
ライプツィヒに来る前、ポルトガルとパリに2週間ずつくらい滞在しました。そのとき、日本の家の存在を知って、ここライプツィヒに引っ越してきました。ライプツィヒには2015年にきたので、もう1年になります。
大学卒業後、だんだんアイデアが出なくなってきたので、絵はすっぱりやめて、大工一本の生活になりました。まず大工の職業訓練校に1年行って、ものを作るって面白いなって思って没頭しましたね。訓練校卒業後は、宮大工の募集があったので鳥取に行きました。
ーまた絵を描き始めようって思ったのはいつですか?
鳥取で生活しているとき、大工をしているのが辛くて、結局4ヶ月くらいでやめてしまって。面白い人を探して放浪したら、たくさんのつながりができて、レストランを開くって言ってる子たちと仲良くなったんです。そのお手伝いをしてる最中に、子供たちと絵を描く機会があって、そのときに絵を描く楽しさを思い出させてもらいました。そのあと、ふらっと沖縄に行きました。大工を短い間でやめてしまったので、家に帰りづらくて。ぼーっと沖縄で海を眺めているうちに、思ったんです。「あ、今僕は絵を描きたいんだ」と。
ライプツィヒに来る前、ポルトガルとパリに2週間ずつくらい滞在しました。そのとき、日本の家の存在を知って、ここライプツィヒに引っ越してきました。ライプツィヒには2015年にきたので、もう1年になります。
ードイツへ来て、少数民族(マイノリティー)となったわけですが、その点についてはどうお考えですか?
すごく面白いと思います。日本はテクノロジーがすごいってイメージがあるけれど、ここの人からしてみたら、はるか遠くの国って感じで、良くも悪くも特にイメージがないみたいです。だからこそ、いろいろやりやすい気はします。この1年で日本の家に来る人にどこから来たかアンケートをとったら、66カ国くらいから人が来てて、びっくりしました。お金がないけど時間がある人が多いから、みんな助け合って生活しています。難民の子とかも日本の家には来るので、日本の家を通して、人をつなぐ役割を担えてるのかなって思います。
ー現在、宮内さんはアナさんと共に新しいプロジェクトを始めたそうですね。そこに至った経緯を教えてください。
アナが日本の家に来たとき、なんかやばい奴がきたって思いました。目の光り方が違うって思ったんです。すぐにお互いが絵描きだということを知って、言葉も通じないのに、一緒に絵を描き始めました。この絵(写真参照)が初めて一緒に作った作品です。僕が一人で絵を描くときは、「こっちだよ」「次はこの色だよ」って絵が教えてくれるんですが、アナと絵を描いてると、自分が会話してたその「絵」が現実に出てきたって感じがするんです。自分が気に入ってた部分をアナが壊してくることもあるんですけど、別に嫌な感じじゃなくて、「こうきたか!」みたいな。僕も逆にアナの描いた絵の上に描いたり。とてもいい刺激を受けています。
今やっているプロジェクトは、いろんなところでいろんな人と絵を描いて、最終的にその完成作品をつなぎ合わせて一つの作品に作り上げるというものです。日本、リトアニア、ライプツィヒなどいろんなところで、様々な人に描いてもらっているのですが、出会ったこともない人たち、何百人という数の人たちが、この作品を通して、一つの作品を一緒に作っているってすごく面白いなと思ったんです。
僕たちは誰でもみんなアーティストだと思っていて。今までに1度も絵を描いたことない人でもいい絵は描けると思うんです。絵を描くということは、1本の線でも、その人の筋肉が動かないといけないんですよね。それって、その人の人生が全て合わさって、1本の線になると思うんですね。このプロジェクトを見て感動してくれた人や、このプロジェクトに携わってから絵を描き始めた人、そういう人たちの目が生き生きと変わっていくのを見てきて、そういう表情の人をもっと増やしたいな、そういう人たちにもっと出会いたいなって思っています。
すごく面白いと思います。日本はテクノロジーがすごいってイメージがあるけれど、ここの人からしてみたら、はるか遠くの国って感じで、良くも悪くも特にイメージがないみたいです。だからこそ、いろいろやりやすい気はします。この1年で日本の家に来る人にどこから来たかアンケートをとったら、66カ国くらいから人が来てて、びっくりしました。お金がないけど時間がある人が多いから、みんな助け合って生活しています。難民の子とかも日本の家には来るので、日本の家を通して、人をつなぐ役割を担えてるのかなって思います。
ー現在、宮内さんはアナさんと共に新しいプロジェクトを始めたそうですね。そこに至った経緯を教えてください。
アナが日本の家に来たとき、なんかやばい奴がきたって思いました。目の光り方が違うって思ったんです。すぐにお互いが絵描きだということを知って、言葉も通じないのに、一緒に絵を描き始めました。この絵(写真参照)が初めて一緒に作った作品です。僕が一人で絵を描くときは、「こっちだよ」「次はこの色だよ」って絵が教えてくれるんですが、アナと絵を描いてると、自分が会話してたその「絵」が現実に出てきたって感じがするんです。自分が気に入ってた部分をアナが壊してくることもあるんですけど、別に嫌な感じじゃなくて、「こうきたか!」みたいな。僕も逆にアナの描いた絵の上に描いたり。とてもいい刺激を受けています。
今やっているプロジェクトは、いろんなところでいろんな人と絵を描いて、最終的にその完成作品をつなぎ合わせて一つの作品に作り上げるというものです。日本、リトアニア、ライプツィヒなどいろんなところで、様々な人に描いてもらっているのですが、出会ったこともない人たち、何百人という数の人たちが、この作品を通して、一つの作品を一緒に作っているってすごく面白いなと思ったんです。
僕たちは誰でもみんなアーティストだと思っていて。今までに1度も絵を描いたことない人でもいい絵は描けると思うんです。絵を描くということは、1本の線でも、その人の筋肉が動かないといけないんですよね。それって、その人の人生が全て合わさって、1本の線になると思うんですね。このプロジェクトを見て感動してくれた人や、このプロジェクトに携わってから絵を描き始めた人、そういう人たちの目が生き生きと変わっていくのを見てきて、そういう表情の人をもっと増やしたいな、そういう人たちにもっと出会いたいなって思っています。
このプロジェクトを通して世界中の人と人がつながり、心を通わせ合う。素晴らしいお話をどうもありがとうございました!
宮内さんはこれからスペイン、アフリカ、イギリス、ブラジルなどたくさんの国で同プロジェクトを続けていく予定とのことです。
宮内さんの過去の作品、今後の予定など、興味のある方はhttp://miyahiro.jimdo.com/へ。
次回は宮内さんのコラボレーター、Ana Magallanes Sánchezさんを特集します。
宮内さんはこれからスペイン、アフリカ、イギリス、ブラジルなどたくさんの国で同プロジェクトを続けていく予定とのことです。
宮内さんの過去の作品、今後の予定など、興味のある方はhttp://miyahiro.jimdo.com/へ。
次回は宮内さんのコラボレーター、Ana Magallanes Sánchezさんを特集します。
photography & interview by Michiko Saiki
August 21, 2016
August 21, 2016