SenS (Hiroko Iwai), playwright/director jp/en
脚本家・演出家として活躍されている、せんすさん。ライプツィヒにある、日本の家で現在レジデントアーティストとして活動されています。出会って即座に意気投合してしまった私たち。これまでに何時間と密な会話をして参りましたが、今日は改めて、せんすさんが演劇を始めた経緯、そしてライプツィヒの魅力について伺いました。
ー演劇を始めたきっかけはなんですか?
中学校で演劇部に入ったのがスタートでした。中学・高校と演劇部に所属してました。人前に出て見られることが好きだったのかな。そうそう、私、当時、ものすごいウソつきだったんですよ。嘘っていっても、テストの点数をお母さんに嘘つくとか、話を盛るとか、そういう小さいことですけど。注目が自分に向くのが嬉しかったんでしょうね。中学生の時、ある日突然、自分は嘘無しで生きてないなって、気づいて。(笑)でもそれと同時に、お芝居の中だけでは、私は嘘をついてないな、とも思ったんです。偽りの世界であるはずの演劇の中では、逆に素直に生きられてるなって気づいてから、演劇というものにのめり込むようになって、徐々に嘘をつかなくても生活できるようになっていったんですね。今思えば、私は演劇に救われたんでしょうね。
高2の時に2週間だけロンドンに短期留学に行って、その時に、ミュージカルのキャッツを見て。それが初めて見た演劇・ミュージカルでした。それから、どんどん演劇にハマっていって、ロンドンから帰ってきてから、劇団四季のキャッツを見に行ったり、宝塚を見に行ったり。そうしていくうちに、劇団☆新感線に出会って、そこから、ナイロン100℃とか、いわゆる、小劇場から生まれた劇団を見るようになりました。
ー役者から脚本家になるきっかけっていうのは何だったんでしょうか?
役者活動をしていく中で、即興劇に出会ったんですね。それがものすごく面白くって。おそらくそれがきっかけで、何かを自分で作るってことを始めたんだと思います。日本を出たいという思いもあったので、演劇の勉強をしに、ロンドンに渡りました。1年間の留学中、その時ですね、自分が作る側だって感じたのが。言語の壁もあったのも影響して、アクティングコースには入れなかったので、シアターアーツのコースに入ったんですけど、自分にはとても合っていて、とても面白いと感じました。その時に、私は演じる側ではなく、作っていく側なんだなと気づきました。それで、日本に戻ってから、自分の作品を作るようになったんです。
中学校で演劇部に入ったのがスタートでした。中学・高校と演劇部に所属してました。人前に出て見られることが好きだったのかな。そうそう、私、当時、ものすごいウソつきだったんですよ。嘘っていっても、テストの点数をお母さんに嘘つくとか、話を盛るとか、そういう小さいことですけど。注目が自分に向くのが嬉しかったんでしょうね。中学生の時、ある日突然、自分は嘘無しで生きてないなって、気づいて。(笑)でもそれと同時に、お芝居の中だけでは、私は嘘をついてないな、とも思ったんです。偽りの世界であるはずの演劇の中では、逆に素直に生きられてるなって気づいてから、演劇というものにのめり込むようになって、徐々に嘘をつかなくても生活できるようになっていったんですね。今思えば、私は演劇に救われたんでしょうね。
高2の時に2週間だけロンドンに短期留学に行って、その時に、ミュージカルのキャッツを見て。それが初めて見た演劇・ミュージカルでした。それから、どんどん演劇にハマっていって、ロンドンから帰ってきてから、劇団四季のキャッツを見に行ったり、宝塚を見に行ったり。そうしていくうちに、劇団☆新感線に出会って、そこから、ナイロン100℃とか、いわゆる、小劇場から生まれた劇団を見るようになりました。
ー役者から脚本家になるきっかけっていうのは何だったんでしょうか?
役者活動をしていく中で、即興劇に出会ったんですね。それがものすごく面白くって。おそらくそれがきっかけで、何かを自分で作るってことを始めたんだと思います。日本を出たいという思いもあったので、演劇の勉強をしに、ロンドンに渡りました。1年間の留学中、その時ですね、自分が作る側だって感じたのが。言語の壁もあったのも影響して、アクティングコースには入れなかったので、シアターアーツのコースに入ったんですけど、自分にはとても合っていて、とても面白いと感じました。その時に、私は演じる側ではなく、作っていく側なんだなと気づきました。それで、日本に戻ってから、自分の作品を作るようになったんです。
ーライプツィヒに来ることになった経緯を教えてください。
ロンドンでの留学中に、先輩がシアターリサーチの関係でライプツィヒに来ることになって、その先輩に誘われて、ついてきたのが最初です。もう8年も前なんですけど、当時のライプツィヒって、今と空気が違ってて。もっと空き家空間がたくさんあって、アーティストたちが好き放題やってて、それが本当に衝撃的で。そこからなんどもライプツィヒに足を運んではいたのですが、2年前くらいに、日本の家のプロジェクトの話を聞いたんです。それで、一度、日本の家を訪れたのですが、ライプツィヒがかなり都市化が進んでいることに気付いて。ここには長期間住んでみたいと思っていたので、これ以上ライプツィヒが変わってしまう前に来なければ、と思い、1年前にワーキングホリデービザでやってきました。
ーライプツィヒで作品を書くのと、日本で書くのとでは、やっぱり違いますか?
違いますね。ここで出会う人が違うっていうのが大きいです。何かを創造している人、アートをしている人がここにはものすごく身近にいて、受ける刺激が全然違うんです。あと、ヨーロッパはいろんな国が近いから、何か考え込んじゃったり、行き詰まったら、気軽にロンドンまでミュージカル見にいったりとか、できるじゃないですか。日本だったらそういうのがなかなか出来ないから、私はヨーロッパが好きなんだと思います。
ー今後の目標や書いて見たい作品などありましたら、教えてください。
ライプツィヒに住んで思うのは、知識では知っているけれど、実情がわからないようなことを身近に感じられる、ということです。例えば、難民の人がどうやってここに来たのか、シリアとかアフガニスタンとか、彼らの祖国が今どういう状態なのかっていうことが、直接当人から聞けたりする。日本は島国ではあるがゆえに、こういう問題って、多くの日本に住む日本人にとっては想像しづらかったり、想像できないっていうのが現状だと思うんです。そういう話を作品にして、こういう問題は自分たちが思うよりも身近で起きているんだ、っていうことを作品を通して伝えたいです。
ロンドンでの留学中に、先輩がシアターリサーチの関係でライプツィヒに来ることになって、その先輩に誘われて、ついてきたのが最初です。もう8年も前なんですけど、当時のライプツィヒって、今と空気が違ってて。もっと空き家空間がたくさんあって、アーティストたちが好き放題やってて、それが本当に衝撃的で。そこからなんどもライプツィヒに足を運んではいたのですが、2年前くらいに、日本の家のプロジェクトの話を聞いたんです。それで、一度、日本の家を訪れたのですが、ライプツィヒがかなり都市化が進んでいることに気付いて。ここには長期間住んでみたいと思っていたので、これ以上ライプツィヒが変わってしまう前に来なければ、と思い、1年前にワーキングホリデービザでやってきました。
ーライプツィヒで作品を書くのと、日本で書くのとでは、やっぱり違いますか?
違いますね。ここで出会う人が違うっていうのが大きいです。何かを創造している人、アートをしている人がここにはものすごく身近にいて、受ける刺激が全然違うんです。あと、ヨーロッパはいろんな国が近いから、何か考え込んじゃったり、行き詰まったら、気軽にロンドンまでミュージカル見にいったりとか、できるじゃないですか。日本だったらそういうのがなかなか出来ないから、私はヨーロッパが好きなんだと思います。
ー今後の目標や書いて見たい作品などありましたら、教えてください。
ライプツィヒに住んで思うのは、知識では知っているけれど、実情がわからないようなことを身近に感じられる、ということです。例えば、難民の人がどうやってここに来たのか、シリアとかアフガニスタンとか、彼らの祖国が今どういう状態なのかっていうことが、直接当人から聞けたりする。日本は島国ではあるがゆえに、こういう問題って、多くの日本に住む日本人にとっては想像しづらかったり、想像できないっていうのが現状だと思うんです。そういう話を作品にして、こういう問題は自分たちが思うよりも身近で起きているんだ、っていうことを作品を通して伝えたいです。
日本を離れたからこそ、見える何かがあり、表現できる何かがある。ライプツィヒという街で、こんなに素敵な熱いハートを持った方と会えたことに、心から感謝。楽しいひと時をどうもありがとうございました!
日本での新作ミュージカルの準備で大忙しの彼女。せんすさんのバイタリティー溢れる活動内容、ぜひ、彼女のウェブサイトでチェックしてみてください!
日本での新作ミュージカルの準備で大忙しの彼女。せんすさんのバイタリティー溢れる活動内容、ぜひ、彼女のウェブサイトでチェックしてみてください!
photography & interview by Michiko Saiki
April 14, 2018
April 14, 2018